沿革

 川崎小学校校舎の建っている館山には、前川村の中内城(本城:もとしろ)城主砂金右兵衛実常が慶長13年(1608年)から15年(1610年)にかけて築城した川崎城(臥牛城ともいった)があった。 砂金氏はここに90年間居住したが元禄15年(1702年)に砂金家が断絶したあとに、同年(1702年)伊達肥前村興が五千石を領して川崎城主となり20年間居住したのである。 川崎伊達家の初代にあたる方は、伊達村和(むらより)といい、父は三代藩主綱宗、母は三沢初子で、四代藩主綱村の弟にあたり美作守(みまさかのかみ)を名乗り三万石を領したこともあった。

 しかし、村和自身川崎には居住せず、当家が初めて川崎城(後に川崎要害と公称する)の館主となったのは享保7年(1722年)村和の嫡男二代村詮(むらあき)が二千石を賜って、仙台藩の御一門に列せられてからである。 以来、明治維新を迎えるまで、村敏、村熈(むらひろ)、宗和(むねより)、邦和(くにより)、邦賢(くにかた)と七代にわたり146年間この地方に君臨したのである。 明治22年の町村制公布により、前川村、今宿村、小野村、川内村、本砂金村の五ヵ村が合併して川崎村となり、更に昭和23年5月に町制を施行して川崎町となった。 また、昭和30年4月20日に富岡村の大字支倉区域と合併し川崎町としてスタートしたが、昭和35年3月14日に櫛挽、道海地区が村田町へ編入した。 約400ヘクタールに及ぶ水没面積を要した釜房ダムは昭和41年着手、45年3月完成。

 また、仙台・川崎・山形線の県道は昭和45年4月に昇格し国道286号となった。 その後、笹谷トンネル開通(昭和56年4月)と東北横断自動車(山形自動車道)村田J.C.T~山形県寒河江IC間が、平成3年度に開通。平成元年8月には国営みちのく杜の湖畔公園、平成2年12月にはみやぎ蔵王セントメリースキー場オープンと、今後の発展が期待されている。

 

川崎要害
川崎要害

青根御殿
青根御殿

古賀政男歌碑
古賀政男歌碑

位置・地勢

 仙台市の南、近郊でありながら、蔵王山麓に属する山岳丘陵地帯と河岸段丘の発達した山間盆地に区分できる自然豊かな地域である。 東部の約100mから西部の1,759m(蔵王刈田岳)に至る西高東低の地形。蔵王からの西北風(蔵王おろし)が本町を吹きぬけることから、風から住宅や農地を守る防風雪林がつくられ、これが本町独自の緑の景観となっている。 河川は名取川水系に属し、太郎川、北川、前川が釜房湖に流入している。

宮城県川崎町

人口:9,579人

世帯数:3,278世帯
(平成26年1月31日現在)

面積:27,080ha
(平16.10.1 国土地理院)

 

町民憲章・町章・町の木・花・獣・鳥

町章(昭和39年7月1日制定)

町章
 この町章は、川崎の川を三重丸で表し、円は町民円満と団結の強さを示し、町の中心部を流れる北川、前川、太郎川の三大河川を表徴したものである。

 

川崎町民憲章(昭和55年10月1日制定)

1.健康に心がけ、清潔で美しいまちをつくります。
1.互いにきまりを守り、明るく住みよいまちをつくります。
1.親愛の情を持ち、みんなで助け合うまちをつくります。
1.生産にはげみ、ゆたかなまちをつくります。
1.教養を高め、すぐれた文化のまちをつくります。

 町の木・花・獣・鳥

カモシカ町の獣-カモシカ(昭和55年10月1日制定)

キジ町の鳥-キジ(昭和55年10月1日制定)

ドウダン町の木-ドウダン(昭和55年10月1日制定)

シャクナゲ町の花-シャクナゲ(昭和55年10月1日制定)

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