過去のあいさつ(平成23年)
広報かわさき「町長がゆく」に掲載したものを抜粋しております。
12月
聖徳太子の願い
2年前、川崎町の議会は議会基本条例を制定しました。条文を構成するために、議員は数々の先例を参考に視察と討論を重ねました。当時、議員だった私もメンバーの一人でした。そして、多くの自治体議会の基本条例の条文は、あるものによく似ていることに気づいたのです。
それは十七条の憲法。今から千四百年前、聖徳太子がつくった日本初の憲法です。
一 人々が仲よくすることが一番大事なことだ。
二 仏の教えは尊いものだ。
三 天皇の言葉は大切である。
四 役人は礼儀を尽くすよう。
五 裁判は正しくしなさい。
六 悪を懲らしめ善をせよ。
七 人には役目がある。役目の意味をわきまえなさい。
八 役人は仕事を怠けてはいけない。
九 人はお互いに信じ合わなければならない。
十 腹が立つときはまず話し合い、自分を反省せよ。
十一 褒美と罰は公平に与えよ。
十二 役人は威張らぬこと。
十三 役人は互いに自分の仕事について理解すること。
十四 役人は他人の出世をねたまぬこと。
十五 欲を捨て国に尽くすこと。
十六 国民を公の仕事に出すときは隙なときにすること。
十七 大きなことをするときは皆と相談すること。
役人、議員、町長。いや、すべての人々にこの憲法の思想は通じるものがある、と思えます。
悠久の時を越えて、古代日本の開明的知識人であり、稀有な理想主義をもつ政治家の成文法は、その名は私たちに身近な存在ですが、原文は推古朝の漢文であり、一条一条が思いがけず長文であり、丁寧に記述されています。
聖徳太子の思想と為政者としての願いが込められているのでしょう。基本はいつの時代も変わることはないという願いが…。
11月
北辰一刀流 千葉周作
10月16日、東京宮城県人会の“宮城のつどい”に招待され、多数の在京の皆様の前であいさつをさせていただきました。
県南の川崎町の町長、小山修作でございます。同じ修作でも、幕末の剣豪・千葉周作の話をさせていただきます。
さて、千葉周作は、県北の花山村出身だと云われております。まさに宮城県人であります。
彼は、190年前に江戸の神田道場を構え3千人もの弟子を抱えていたといいます。
当時、剣道場では、硬い木刀を使っていたので、打ち合うことができず、型ばかり教えていました。それを周作は、防具を付け、竹刀(しない)で打ち合うようにしました。
また、従来の剣の伝授12段階を簡素化し、3段階にして、庶民に分かりやすい教え方で、江戸一番の道場になりました。
ちなみに、竹刀とは弾力性があってよく曲がることを、しなう、しなる、から竹刀となったそうであります。
在京の皆様は、宮城県から花の東京に出て、竹のような弾力性を持ち、千葉周作のように創意工夫と努力のもと、現在の地位を築いてこられました。
人には言えない苦労の数々がおありになったと思います。それゆえ、この度の東日本大震災では多大なるご支援を、ふるさと宮城に施してくださいました。
心より御礼申し上げます。私たちも千葉周作には太刀打ちできませんが、皆様を見習い、弾力性と創意工夫を大切にして“ふるさとづくり”を進めてまいります。
県南の川崎町をよろしくお願いいたします。
本日は、誠におめでとうございます!
