太平洋・大西洋と共に、日本の歴史を越えた男

支倉六右衛門常長 支倉六右衛門常長は、日本歴史上に現れた江戸初期の国際交流の先覚者として今日では広く知られています。
慶長18年(1613)9月15日、常長は仙台藩祖・伊達政宗が送る「慶長遣欧使節」の実質的な責任者として、世界最大級の木造帆船、サン・ファン・バウティスタ号で牡鹿郡月浦を出港します。り込んだ慶長遣欧使節は、正使である宣教師ルイス・ソテロ、常長ら伊達藩士、当時ノビスパニア(メキシコ)から来日し、本国へと帰還するスペイン特使ビスカイノらを含め総勢180名余り。一行はメキシコを経てイスパニア(スペイン)、フランス、イタリアへと航海を続け、1615年1月30日にスペイン国王フィリップ3世、同11月3日にはヴァチカン教皇パウロ5世に謁見、歓迎の内に政宗の親書を手渡したのです。その旅は7年にも及びました。
慶長遣欧使節は、伊達政宗が幕府の名の下に展開した独自の外交政策だったのです。しかし、常長の努力にもかかわらず、結局、成功を収めることはできませんでした。
残された政宗親書の控えによれば、日本−スペインの平和外交条約・通商条約を提案するものであり、交渉が成功すれば伊達藩は幕府を差し置いて欧州との外交権を手中にできるはずでした。そこには政宗の"大きな野望"があったと考えられています。政宗は、日本史の中で幕末になって初めて登場する外交手法を200年以上も前に行おうとしたのであり、その政宗が信頼し、全権を託したのが支倉常長だったのです。
川崎町は、この支倉一族のふるさとであり、町内には常長の墓所(異説もあります。)や常長と一族にまつわる史跡や文化財が、今日も数多く残されています。

 

サン・ファン・バウティスタ号

サン・ファン・バウティスタ号 スペイン特使ビスカイノの技術指導で造られたサン・ファン・バウティスタ号は、全長55m、幅11m、高さ40m、排水量500tの世界最大級の木造帆船。現在復元され、石巻サン・ファン・バウティスタ・パークに繋留されています。

 

支倉常長夏まつり

支倉常長夏まつり 国際交流の先覚者・支倉常長の偉業をたたえ、川崎町では平成5年から毎年、「支倉常長夏まつり」を開催しています。遣欧使節一行の再現パレードや、支倉太鼓の競演、同時開催の「祝い船歌謡大会」、ゲスト歌手による歌碑ショーなどの楽しいメニューで、毎年大きな盛り上がりを見せています。