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44年前、笹谷トンネルが開通し、国道286号の交通量が激増。交通事故や渋滞の発生も予想を上回り、川崎町はバイパスの早期建設について県や仙台市に要望活動を始めます。やがて、碁石・川内・小野地区、仙台市茂庭・赤石地区を迂回するバイパスが完成。
しかし、一番の難所、碁石から仙台市赤石にかけての約3kmの計画は一向に前進しません。ここは急カーブが多く傾斜も急で、冬の凍結時は特に危険。町内の若者が車ごと碁石川に落下し死亡する事故も発生した場所。なぜ30年たっても進展はないのか。
難所を迂回するには、県と仙台市が3つの橋をかけ2つのトンネルを掘るという大きな予算と、大きな負担を必要とします。要望活動を続けること30年、難所の事業は棚上げ状態でした。
そして2011年3月。あの東日本大震災…。震災復興がすべてに優先。特に津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部の復興に異を唱える者などいない。当然、内陸部の市町村長は一歩下がることに。折しも震災から5カ月後、私は町長に就任することに。
狭く、曲がり、凍りやすく、雪も多い。女性や初心者のドライバーにとって、特に注意を要する場所。「なんとかしなければ…」命題を背負いながら、ついに村井知事への直接要望の日が来ました。
「知事、大震災で様々な輸送手段が寸断された。太平洋側の港は津波で破壊、福島を通る道は放射能で恐れられ、東北自動車道は緊急車輌のみの通行。このためガソリンを含む物資が酒田・山形から宮城へ運ばれた。その大役を担ったのが286号。県民の多くもこの道を通って山形へ買い出しや給油に行った。286号は太平洋側と日本海側を結ぶ、緊急輸送路。緊急輸送路の整備は、復興事業と同時に進めていかねばならない。知事のお考えはいかがか。」
「確かにそうだ。まず、環境調査から入ろう」
村井知事が「事業に着手する」と明言された。時に2012年1月31日、大河原町で開催された県南サミットの席上でした。この時から286号は緊急輸送路として注目されることに。川崎町民の悲願、難所の整備への道筋が示された瞬間でした。以来、調査・測量・設計から着工。やっと、その姿が見えるようになりました。
大震災という、この上ない不幸の中で、その役割を果たし、その価値が認められた国道286号。
人を、物を、夢を、志を、そして希望をいざなってくれる安全な道。これから、ますます多くの人々が川崎町にやって来ます。人々を受け入れ、人々と交流し、人々と協力し川崎町を発展させていきましょう。
これからの川崎町を担っていくのは、皆さんです。

10月17日午前、川崎小学校。町内の6年生46名に小山町長が「バイパス工事の経緯と多様な効果」について講話。町長の話に聴き入る児童たち。
その後、児童たちから多くの質問が出ました。午後からは中学3年生58名に説明。日を改めて、それぞれ現場見学をしました。

なかなかの眺めじゃありませんか?作業車に乗って橋の上部や全体を視察。気分は既に現場の監督さんです。

事業の内容や橋の構造・工法の説明を受けてから様々な体験をしました。みんな満足してお腹が減りました。

数ある重機の中で、高所作業車は20mまで上がります。高いんだなこれが。

なかなか手つきがいいですね。

俺って才能あるみたいだなぁ。この感覚、いいと思う!

町長の話を聴いてから、とても楽しみにしていた現場見学がいよいよ始まります。
10月22日午前10時ころ
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